
写真/NASA(PD)
こよみは暮らしや社会の基盤。 人工的な尺度で 「とき」 をとらえるグレゴリオ暦(私たちが普段使っているカレンダー=新暦)をベースにした大量消費型社会が絶望的な未来へと突き進んでいく中、こよみを見なおすことはとても重要だ。「とき」を自然の循環の内にとらえ、私たちの暮らしや生命のリズムを地球や宇宙のいとなみと 同期してくれる「旧暦」の機能こそ、いま求められているのではないだろうか。旧暦の仕組みや機能を解説しながら、こよみのもつ意味を検証する。
構成/文 あきもとキンぢ(88d)
考えてみれば、ひととひと同士の約束事はもちろん、企業と企業の契約から国と国との条約まで、それが効力を発揮するためには日時や期日といった時間的区切りの概念が必要不可欠で、それを成立させるものこそ、こよみにほかならない。そしてこよみがあるから将来の幸福を担保する具体的な未来像を他者と共有でき、共同体や社会が初めて成り立つ。こよみとはすなわち私たちの暮らしや社会の最も根幹をなす基盤なのだ。
目下のところ私たちが無批判に絶対的価値を置き、それによって社会を機能させている現行のこよみは、正確には「グレゴリオ暦」と呼ばれる太陽暦である。日本で1872年(明治5年)より採用されている公式なこよみ。私たちが普段使っているカレンダーのことだ。このグレゴリオ暦は世界各国で採用されている事実上のワールドスタンダードでもある(無論、独自のこよみをもっている国や地域は数多くあるが、他国や他文化とのコミュニケーションはグレゴリオ暦で行われ、世界はそれで動いている)。
一方、グレゴリオ暦以前の日本で公式に採用されていたのが、月の満ち欠けにもとづいたこよみで、現在では一般に「旧暦」と呼ばれている。「旧」暦とはいえ、グレゴリオ暦を「新」暦というのに対して「旧」であるだけで、いまではもう機能として使えないという意味での「旧」ではない。実際、旧暦は日本以外の東アジア諸国で、グレゴリオ暦と併用する形で現在も普通に使用されている。
それとタイミングを同じくして、旧暦からグレゴリオ暦への改暦が行われた事実はとても象徴的だ。旧暦が月の満ち欠けという自然法則=循環概念そのものをベースにしているのに対し、グレゴリオ暦はそれを内包せず一方向へのみ過ぎ去っていく一本の矢印のような時間概念をベースにしているからだ。これはグレゴリオ暦がそもそもキリスト教の宗教暦であるという出自に起因しているのだが、それについてはあとでくわしく見ていく。いずれにせよ、こうしたグレゴリオ暦の構造は、経済という単一の価値基準だけで突き進む現在の大量消費型社会に、まさにジャストフィットするものだったといえる。
しかしその大量消費型社会が行き詰まりを見せていることは、いまや誰の眼にも明らかだ。地球環境という閉じた系において一方通行で消費を続けていけば、いつか壁にぶち当たるのは当然の帰結。環境破壊、資源枯渇はもちろん、貧困や格差など、現代に生きる私たちが直面する深刻な問題はすべて、この大量消費型社会がもたらした副産物といっていいだろう。
病気を根本から治すのに体質改善が不可欠なように、地球をむしばむ病理もまた根本的な部分から見直さなければならない。そしてそのための行動をすぐ起こさなければ、人類に未来が訪れることはないだろう。私たちはいま、その岐路に立たされている。
こよみが社会の基盤をなすものであるなら、現在の私たちの社会を動かしているグレゴリオ暦というものに、疑いの眼差しを向けることは無意味ではない。これまで当たり前のように信頼して使ってきたこよみが何か重大な問題を抱えているとしたら、それは同時にそのこよみで成り立っている社会すべてにわたる問題でもあるからだ。ならば社会が循環原理の上に成り立っていたころの旧暦というこよみに、私たちが目指すべき未来へのヒントがあるのではないか。
そこでこの特集では、まず旧暦に改めてフォーカスし、その仕組みや機能を見ていくことからはじめたい。小さな子供でも簡単に理解できるほどシンプルでありながら、そこにはグレゴリオ暦とは本質的に異なる(そしていまの私たちに最も必要と思われる)視点や認識がしっかり内包され、旧暦をとおして現代の暮らしの中で私たちが喪失してしまったものを再び取り戻すことができると気づくだろう。

















